日々

5・3・0才の子どもたちと夫と山間の小さな街で暮らしています

夫婦のかたち 仕事人間とワンオペ育児

夫婦のかたちはそれぞれだ。

そしてそれは、本当のところは他人からは決してわからない。

 

 

「衣食住」とはよく言ったもので、この3つが生活の基礎。

そしてそれを下支えする経済力。

これを夫婦でどうバランスを取るか。

今の自分たちにとっての心地いいバランスを探したいと思うのだけど、それがなかなか難しい。

 

 

結婚する前から分かっていたが、オットは仕事向きの人だ。

体力もあって長時間労働を厭わないし、熱意と向上心もある。これまでも結果を出してきた。

こどもが生まれる前は、週末は基本的に寝ていたし、仕事をしている時がいちばん元気で、ほぼ毎日深夜のタクシー帰りだった。

ブラック企業なほど激務と分かっていても、興味とキャリアのために転職するような人だ。

 

いまは、朝早く出て夜9時頃に帰宅する。

昔よりはマシだけど、こどもたちと私に会うのは朝の30分だけだ。

完全にワンオペ育児。

赤ちゃんが生まれたら、近くに住む自分の両親に助けてもらえばいいと言う。

 

仕事ばかりしていて家族を蔑ろにしている(ように思える)オットを不満に思って、聞いてみた。

 

「オットにとって大切なものは何か?」

 

その答えはなんと、「家族を経済的に不自由させないこと」だった!

オットは家族のために一生懸命働いている・・・!

 

当たり前のこと、と言えばそうだけど、正直言って衝撃だった。

 

そうか、オットは家族が大切だから一生懸命朝から晩まで働いているのか。

休日も9時か10時には起きるし、こどもたちもと遊んでくれる。ごはんだって作ってくれる。

 

 

このオットに、

毎日6時に帰ってきて、こどもたちをお風呂に入れて、みんなで一緒にごはんを食べたい、

と要求するのは何か違う気がする。

 

オットは自分が好きで得意なことで、一生懸命家族を支えようとしてくれている。

朝30分しか会えなくても、私とこどもたちが不在だと(実家に二泊した)、とても寂しいらしい。

 

仕事でオットに負けたくない、と思っていたこともあったけど、自分の幸せと家族全体を考えると、私がオットと同じように仕事一辺倒になってしまうのはどうも違う気がする。

何より、私は料理するのも好きだし、家を整えるのも好きだ。

清潔な衣類と居心地のいい家を整え、身体を支える美味しい食事を用意して、家族が喜んでくれたら嬉しい。なにより自分が幸せ。それで収入があるなら最高だ。

 

いまの夫婦のゴールデンバランスは、こんなところかな。

 

経済力 オット8:私2

衣食住 オット2:私8

 

私たちは皆違うけれど、皆平等。

 

 

気付いたことは、私は仕事人生で無い方が幸せだけれど、経済的に独立していたいということ。

難しいけど、これをどう実現していくかが私の腕の見せどころ。

 

 

人生は「自分」がすべて

歳を重ねて思うのは、

「私はどうしたいか?」

「私は何が好きか?」

を大切にすることが、自分の人生をつくるということ。

 

小さなことでも、なにかを決定するときは

他人がどう思うかではなくて、

「私はどう思うか?」

「私は何が大切だと考えるか?」

を持っていないと、まわりに流されて他人の人生を生きることになってしまう。

その決定の責任を他人は取ってはくれない。

 

 

いま改めて考えるのは、

「私はどんなふうに毎日を過ごしたいか?」

ということ。

つまり、どんな人生にしたいか、ということ。

 

20代の頃は、とにかくキャリアを積みたいと思っていた時期もあった。

仕事でオットに負けたくないと思っていたこともあった。

 

でもそんな時でも時々顔を出す本音は、「森の中で暮らしたい」で、自分の好きな空間で、自分のペースで、家で仕事がしたいと思ってた。

そして本気で転職を考えた時、キャリアよりも子どもが欲しいと思って、幸運なことに授かった。

 

それはとても可愛い一卵性双生児の男の子たちで、私のお腹に5ヶ月間、居てくれた。

さよならをした日のことは、所々鮮明に覚えているのだけれど、その前後の1年くらいの記憶がはっきりしない。

つらかった。

 

あれから丸6年が経って、男の子と女の子に恵まれて、そしてあと100日くらいで生まれてくる赤ちゃんがいるけれど、この双子の男の子たちのことを考えると今でも涙が出る。

悲しくて苦しくて仕方ない。

私たちのところに来てくれたことは、一生忘れない。

だから本当のところ、双子は苦手だ。心が痛む。

 

 

これは本当につらくて大変な経験だったけれど、だからこそ子どもたちを大切にできるのかもしれないと思う。

仕事人間のオットは間違いなくそうだ。

子どもたちが元気でいてくれるだけで幸せだと思う。

赤ちゃんも元気に生まれてきてくれたら、それだけで良い。

それをいつまでも忘れずにいたい。

 

 

気がつけば、

森の中で暮らして、自分の好きな空間で、自分のペースで、家で仕事がしたい

という夢は半分くらい叶っている。

 

今それに加わったのは、

家族を大切にする、と、自分を大切にする、だ。

 

 

 

 

気づき。毎日の小さなことが人生そのもの

栗原はるみさんが、家族が好きな味を(料理)を作ってあげたい、何度も作ることで新しい発見がありそれが日々の楽しみにつながる、ということをレシピ本の中でお話されていて、とてもいいなあと思った。

そう、家族が喜んでくれたら嬉しい。

食事は毎日の小さな楽しみ。

レシピを見る度、「これはあの子が好きな料理」と思うなんて幸せ。

 

そして「毎日どうしたら元気に楽しくいられるか」考え、気づきをメモしやってみているとのこと。すごくいいアイディア!今日から生活に取り入れよう。

 

 

そしてもうひとつ。

サントーシマ香さんの朝、夜、月のヨガシリーズの本が好き。

簡単なポーズが多く、すぐに実践できるし、気持ちがふんわりとするような文章が素敵。

たまに見返したくなって、たくさんの気づきをくれる素敵な本。

彼女のマタニティヨガをやってみたくなったので、調べてみよう。

 

 

毎日の些細なことを、一生懸命工夫しながらやっていくことが、日々の楽しみにつながる。

私にとってそれは、料理や掃除、こどもたちやパートナーとの時間。

 

毎日ご機嫌で、楽しく過ごす。

その毎日が人生そのもの。

 

 

 

食べたものが私をつくる

化繊のカーテンを麻に変えたら、朝起きてカーテンを開けるのが楽しみになった。

幸運なことに人目をあまり気にしなくて良い環境なので、太陽の光が適度に透ける薄いカーテンが気持ちいい。

 

私は自分の食欲を信用していない。

食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べていたら、エネルギー過多になってしまう。

サバンナに生きていた頃から変わらない私たちの本能は、「カロリーの高いものを見つけたら食べられるだけ食べろ」と命令する。

私たちの本能はそういうふうにできている。

この飽食の時代には命取りだ。

 

だから理性を働かせ、コントロールしようとする。

冷静に身体の調子を見極めれば、きっと「ジャンクフードじゃなくて野菜を食べろ」と教えてくれるはず。だってその方が理にかなっているし、身体の調子も良くなるはずだから。

 

ただし、ストレスをためすぎてはいけない。

過剰な長期的なストレスこそが諸悪の根源だ。

 

だから、緩やかに、少しずつ。

丁寧に食べるものを選んでいくのが近道だと思う。

私たちは、自分が食べたものからつくられているのだから。

スマホデトックスはじめました

外が明るくなっていく時間が好きだ。

朝5時半頃自然に目が覚めて、ゆっくり暖かいものを飲みながら、何事にも追われず、心穏やかに過ごせる時間を持てるととても嬉しい。

(こどもたち4歳&2歳が今にも起きるんじゃないかとそわそわしているけど!)

 

スマホデトックスをしようと決めて、今日で4日め(くらい)。

スマホは普段は棚に収納することにした。

そして1日の使用時間は3時間強から1時間強に減った。

もっともっと減らしたい。

 

スマホが近くにあることでどうしても気が散ってしまう(無意識のうちに)し、毎日時間がない!と思いながら、スマホに3時間もハックされていたなんて、衝撃だった。

 

「(iPhoneユーザーなので)MUSICで音楽を聞きたい」

という欲求は、HomePod mini を購入したことで解決できそうだし、

 

「手軽に子どもたちの写真を撮りたい」

という欲求は、一眼レフカメラを使い倒すか、こどもたちともシェアできるタフなコンデジを購入するかのどちらかで解決しようと思っている。

(GoProも持っているけど、上手く使えない。すぐ電源も落ちてしまうし、写真もあまり好きじゃない)

 

あとスマホでやりたいことは、

  • 写真を家族にシェアすること
  • 写真を整理すること
  • 子どもの成長過程を記録すること
  • 音楽の定期的なチェック
  • メールと電話
  • 買物

くらいだろうか。

 

機能に特化したガジェットを活用することで、スマホから距離を置きたい。

 

そう、スマホを持っていないだけで、こどもたちとの時間が濃くなる気がする。

まだ小さなこどもたちをぎゅっとすると幸せをじんわりと感じる。

 

さあ、今日もいい1日にしよう!

怒らず、心穏やかに、幸せを感じて過ごせるように。